日本列島を猛暑が襲った8月上旬、関東方面への営業を終えた僕は、長野での釣りを楽しむため、道の駅にて車中泊を決め込んでいた。朝起きると寝ている間に雨が降ったらしく地面は濡れている。これは良い予兆だなと身支度を早めにすませ、千曲川上流域を目指し車を走らせた。途中コンビニで日釣り券を購入、今回は南佐久南部漁協の範囲内を楽しむことにした。
この日は台風が関東に近づいてきていた影響で、日が昇るほど雨が強くなる予報が出ていた。釣り始めこそ太陽が出ていたが、案の定8時をまわった辺りから雨がパラパラし始めた。
キャストを開始すると、どうやら夜間の雨が効いたのか、釣り始めから魚の活性は悪くない。猛暑&渇水の続く岐阜からすると、この活性の高さは嬉しい誤算だった。この谷の魚はアマゴが主体で全てヒレもキレイなことから、もともと居ないはずの場所に放流されたアマゴが再生産されているんだろうと推測された。
場所を移動してみても魚の活性は依然高いまま。それどころか、雨が強くなるにつれ水位はあがり、みるみる水の色もささ濁って来ると、もっと魚の活性は高くなってきたのだ。この谷付近でもきっとまとまった雨はかなり久しぶりだったのではなかろうか?きっと魚たちもこの雨を待ち望んでいたんだろうな。そう思うには十分過ぎるほど魚たちは乱舞してルアーを追って来てくれた。
魚の活性について特に印象的だったことがある。それは川幅3mもない、膝たけほどの水深のストレートな淵に入ったとき。淵尻からロングディスタンスをとった1投目でミスキャストをして流れ込み付近の小枝にルアーが引っかかってしまったのだ。横には葦があり、魚の隠れみのもある淵、どう考えても魚が居ない訳がない。しばし、「う〜む....」と考え込んだが、しょうがないので葦ギリギリをゆっくり上流に移動してルアーは無事回収出来た。ここで、今いま水の中を進んできたばかりの下流へルアーをほうり、ダウンで狙ってみる。すると、ルアーの後ろを凄い勢いで右へ左へ動きながら魚が追いかけてきたのだ。それも1匹だけでない。3匹が束になって狂い追いしてきたのだ。結局この3匹は3投するうちに全て釣り上げてしまった。こういう時は魚の活性のことなどは棚に上げ、釣りが上手いなぁ〜っと勘違いをしてしまう。雨のなか笑いが止まらなかった。
しかし、雨はさらに酷くなる。初めての場所で退渓点が分からなかったこともあり、身の危険を感じたため、深追いはせずこの3連続ヒットのあと納竿とした。もし、あのまま釣り上がっていたら、あとどれだけ釣れたのだろうか?もっと大きな個体も釣れただろうか?帰宅してからの釣り人の妄想はいつもつきることがない。
ビショビショになった服を着替え、次に訪れたのは、ど田舎の考古博物館。一体年間で何人訪れるのだろうと思うほど田舎にある博物館で、村役場と同じ敷地内に建っていた。入り口まで行くと、鍵がかかっていて、中に明かりもついていない。休館かな?とも思ったが、よく見ると『係員が居ない場合はブザーを押してください』とある。ブザーを押して大人2人の見学を希望すると、村役場の職員さんではないかと思わしきお兄さんが中から鍵を開けてくれた。金額は大人200円。目が点になるほど安い。二人でも400円しかかからない。その400円のためだけに、このお兄さんは僕らに拘束され、館内全ての電源を入れてくれたのだ。なんだか申し訳ないやらありがたいやら。
館内の写真撮影はオッケーとのことだったので、興味深い展示品をいくつか写真に納めさせて貰ってきたので、そのひとつをここで紹介したい。
石器時代、多くの先人たちは水辺のちかくを住処としていた。僕の家のまわりでもヤジリなどがよく見つかるが、ヤジリを見つけることが出来る場所を考えても、やはり川の付近で身を隠せる山などがある場所が生活圏内だったのだろうと想像できる。
この博物館が所有する栃原岩陰遺跡の出土品をみても、それはうかがえて、川の近くに暮らしていたので、釣針なども出土しているのだ。一万年前の僕らの祖先が、このあたりの川で既に魚釣りをしていたのかと思うと、興奮がなかなか押さえきれなかった。
彼らは、僕らとは違い、釣りと言っても生きるための手段だ。遊びで釣れた魚程度で僕らはこんなに一喜一憂しているのだから、生活がかかった一匹が釣れたときの嬉しさたるや、言葉に表せれないぐらい嬉しかったことだろう。雨が降ってささ濁った日なんかはルンルンで釣りに出かけたんだろうな、などと想像しながら、当時の暮らしに思いをはせたのだった。
古代史に興味のある方は近くに行った際、釣りの休憩時間にでもよってみるのも良いかも知れない。ひとしきり中を見たあとなら、博物館のすぐ横を流れる川の表情もすこし違って見えるかも。