2012年6月19日火曜日

思えば遠くへ来たもんだ(四国編、其の二)

香川県でうどんを堪能した後、以前から通ってみたかった国道439号線(通称ヨサク)を走る為徳島県入りをして吉野川をどんどん上って行く我が軽ワゴン。この四国の背骨を突っ切る国道439号は岐阜〜福井間の国道418号、三重〜和歌山間の国道425号と並んで「日本三大酷道」と言われ、国道とは名ばかりなすれ違いも出来ない所あり、ガードレールもなく落ちたら直ぐ谷底の所あり、そこら中に落石あり、まだ舗装されてない場所あり、雨量規制ありの道なのだ。今回は以前から通ってみたかった京柱峠を高知県側からアタックしてみる事にした。


午後4時、吉野川本流から反れて待望の国道439号に入る。最初パラパラしていた雨も
この時には本降りになってきて幸先の悪いスタートだった。少し走るとまばらだった民家も一件ごとの距離が遠くなり茅葺き屋根を鉄の板で囲い直した古い家が多くなってくる。この段階で既に物凄く山の中で、平家の落人で逃げ隠れする様な目的が無いとこんな所に住まないぞと本気で思う程の限界集落だった。

遂に民家も無くなりかけた頃、二台の地元車とすれ違ったが待避所まで結構な距離をバックしなくてはならなかった。この二台ともすれ違い様びっくりした顔をしていたが、今思えばそれも当然。こんな陽が暮れ始めた雨の日にあんな道を通る人間は先ず居ないだろう。一台はすれ違ってから少し動かなかったが、もしかすると「危ないから引き返しなさい」と忠告したかったのかもしれない。


民家も無くなり延々と九十九折りの道は続く。まだ5時にもなっていないのに鬱蒼とした道はライトを点灯しないと走れないぐらいに暗い。幸い雨は小降りになったものの今度は代わりに霧が立ちこめて来て辺りの視界が利かなくなってしまった。もしナビが無かったら道が合っているかすら分からなくなる程だった。



全く峠の頂上まで出る気配がないままガードレールの無い道を心細く走ると、谷側に何十年か前に落ちたまま引き上げられる事も無かったのであろう古い型のバスが目に飛び込んで来て「完璧にやってしまった...こんな天気の夕暮れ時に一人で絶対通ってはいけない道だ...」と確信する。しかし、もうかなり上まで来てしまっているので引き返す事も出来ず峠を越えて徳島県側に入ったら道が良くなる事だけを祈りつつそのまま突き進む。



程なくしてやっとの思いで峠の頂上に到着。思いの他広い場所で峠の説明などもあり「ちゃんと人が通る国道なんだ」と少し安心した。しかし、安心したのもつかの間、徳島県側に入ると安心が恐怖に一変する。「高知県側より道が悪い...」アスファルトの舗装が綺麗にされてない上に拳大の落石も多く「ここでパンクしたら俗に言う遭難だぞ...」と思っていると追い打ちをかける様に大粒の雨、雨、雨。

山から落ちて来た雨は自分が進んでいる道を落ち葉と共に凄い勢いで川の様に流れて行く。スリップしてハンドルを切りそこねたら谷底に真っ逆さまだ。「やばい、死ぬかもしれない」と本気で思い始め、半べそを掻きながら必要以上にハンドルに力が入る。お昼までの素晴らしすぎる時間は遠く記憶の彼方に追いやられていた。


もうこの頃には写真を撮る余裕すら全くなく、国道439号が「酷道」と呼ばれるのにふさわしい光景が無いのが無事に生還した今だから残念に思う。そんな道を気が遠くなるほどクネクネと走り、廃墟ではあったけど建物が目に入った時は「抜けたぁ〜!!!」と一人大声を上げた程嬉しかった。そうこうしてやっと京柱峠の徳島県側からの入り口まで到着。大体2時間ぐらいだったけれど半日近くさまよって居たような気になるほど長く恐い道だった。この日はここから30分ぐらい行った所で温泉に浸かり祖谷そばを食べ、その後車中泊をして朝が来るのを待った。




そして遠征最終日。一晩中降り続いた雨も朝には上がり、天気も今日は良くなりそうだ。前日の昼間に買っておいたオニギリで簡単に朝飯を済ませたら釣りの前に奥祖谷二重かずら橋を散策する。一般的にはかずら橋と言えばアクセスも良い西祖谷のかずら橋を指すが、その更に奥には小規模の橋が並んで二つ掛かっている奥祖谷二重かずら橋があるのだ。受付の周りを掃除していたおばちゃんによると大きなお土産売り場やホテルが近くにある訳でなく大型バスも近づきにくいので本当に好きな人しか来ない隠れた名所らしい。確かに西祖谷のかずら橋も行った事があるが、ゆっくり写真を撮影するにはこちらの方が人も居ないし雰囲気もある。昨日はあんなに怖かった雨ではあったけれどお陰で朝霧が立ち、かずらも湿って艶っぽさを演出してくれている。ここで暫し時間を忘れて撮影タイム。









撮影も終わり残すミッションは四国のアメゴを釣る事と徳島に居る親戚の顔を見に行く事のみ。今日の夕方までには鳴門インターに乗って家路に着かなければならないので、ゆっくり川を楽しむ余裕は残されて無かったが、丁度、自分が通ろうと思っていた方向に教えて貰った川があったのでそこで2時間程竿を振ってみる事に。結果から言ってしまうと2匹しか釣れなかった。ただ、物凄く水の色が綺麗で渓層も抜群。どうやら先行者が居たようだったが残された時間の都合上移動する事も出来なかったのでそのままその谷で遊んだのだけど、2匹と言えども生命感のある個体で十分満足出来る川歩きが出来た。今度はじっくり一日掛けて来たいと思える川がそこには流れていた。










なごり惜しかったけど、昼にはこの渓谷にも別れを告げ次の目的地である親戚の家に向う。疲れて眠くなる事は目に見えていたので早めに出発して途中仮眠を取りながら徳島の親戚の家まで辿り着く。懐かしい風景、懐かしい匂い、懐かしい顔が今年も僕を向えてくれた。小一時間程寄らさせて貰ってたんまりお土産を頂き慌ただしく出発。泊まって行けとも言ってくれたし、出来ればそうしたかったけれど何せ明日から溜まった仕事が恐ろしい程押し寄せて来る事は目に見えていたので泣く泣く車に飛び乗った。

ここから各県のサービスエリアで何回も休憩&仮眠を繰り返し結局帰宅したのは次の日の朝4時。今回の旅は今までの一人旅の中で一番ハードスケジュールで一番遠かったけど、色々な人との出会いや発見に満ちたとても刺激的な旅だったと思う。今回の旅でこんな僕に一秒でも付き合ってくれた方々には言葉に現せれない程感謝の気持ちで一杯だ。また行きたい場所が増えた。また会いたい人が増えた。怖い思いもしたけれどとっても素敵な遠征となった。

記念に明石大橋を一人淋しくスローシンクロで自我撮り







2012年6月15日金曜日

思えば遠くへ来たもんだ(四国編、其の一)

広島に別れを告げ夜の高速道路を東へ進む。目指すは四国。20代の頃は毎年の様に訪れていた僕にとって第二の故郷とも言える四国。始まりは大好きだった曾婆ちゃんが育った徳島の景色をこの目で見てみたいという自分のルーツを辿る旅だった。あの頃はお金は無かったけど沢山の時間があり、長い時は2週間親友と車中泊をしながら四国中を釣りしながら旅をした事もあった。


流石に朝早くから一日釣り歩いた体では一気に四国入りするのもキツかったので途中のサービスエリアで朝まで車中泊をする事に。陽が昇ってから瀬戸大橋を渡り香川県入りを果たし高速道路を降りたのが午前10時ちょっと過ぎだった。そのまま車を走らせて辿り着いたのが今回の四国行脚第一の目的である上野製麺所。実はこのお店Twitterを通して知り合いになった上野さんが営むうどん屋さんで、趣味でうどんを打つぐらいうどん好きな僕が四国に行ったらどうしても食べたかった讃岐うどんのお店なのだ。


午前10:30の開店を待ってガラガラっと戸を空けると沸き立つ湯気と天ぷらの香りが心地よく鼻を抜ける。直ぐにお辞儀をして「Twitterでお世話になってるシンドラーの酒向です。上野さんのうどんが食べたくて来ちゃいましたっ!」と言うとグツグツ煮える釜の横で上野さんは目を丸めていた。訳もない、事前に食べに行くとも一切言わずアポ無しでいきなりお店に飛び込んだのだから。広島に営業に行ったついでに四国に渡ったなどと言う話をしながらうどんを注文させて貰う。頼んだのは、かけ(小)180円と、ぶっかけ(小)250円。


色々話したい事はあったけども、写真だけ撮ってうどんが一番美味しいうちに直ぐに食べる。まず、一本つまんで真ん中を歯でぷっつり切り断面を楽しむ。うん、綺麗なアルデンテだ。角のエッジも利いて平均的な店よりちょっとだけ太い麺は完璧に僕好みだ。暫し無言で麺をすする。旨い。本当に美味しい物を言葉にする事はこんなに難かしい事かと思う程に旨い。出汁も最高に美味しい。醤油の塩分辛い濃さでなく、ダシが良く利いている濃さがある。なにしろお椀から立つ湯気の香りがとても上品だ。量も(小)にしてはかなりお得感のあるボリュームでこの後数件まわったうどん屋が結構キツい程だった。



うどんを食べ終え合掌をして、やっと上野さんと少し長くお話が出来た。上野さんも渓流LFをされていてどの辺りがいいのかを地図を広げ丁寧に教えて貰う。シャイな顔で笑いながら優しく話す上野さんの人柄に触れ、この性格がしっかりうどんに出ているなぁ〜と感じた。


なごり惜しかったが時間もそんなに残されて無かったので上野製麺所を後にし、有名うどん店を数件ハシゴしながら車は吉野川上流に進路を取る。次の目標は日本三大「酷道」439号を通る事。しかし、雲は次第に厚くなりフロントガラスには雨粒が落ち始めた。今思うとこの雨もこの道通るべからずと言う何か大きな力のお告げだったのかもしれない...

2012年6月8日金曜日

思えば遠くへ来たもんだ(広島編、其の三)

本流尺アマゴが釣れた事で一気に肩の荷が降りた気持ちで次は第二ミッションであるゴギを釣るべく太田川本流を離れ山を駆け上る。今回連れて来て貰った辺りは放流事業が殆ど行われていないらしく釣れるのはネイティブゴギだそうだ。


最初に降りた谷は最近雨が少ないせいか水位も低くコンディションとしてはあまり良く無いとの事。元々の川幅も広くない所だが中国地方でゴギを狙うと大体こんな感じの規模の渓流が殆どらしい。岐阜や長野などは太田川の本流サイズの流れの中に大きいイワナが居ると告げると羨ましいと重森氏が呟いた。


早速、USHIWAKAを投げるが全く魚が追ってこない。どれだけ前か分からないが人の足跡もあったので早めに場所移動。次の場所に着くまでも車の中で釣り談義に花が咲く。このまま延々と釣りの話だけで数日は広島に居れそうな気がする程楽しい時間だった。次の谷は入渓地まで30分程歩くと言うので水分と重森氏の奥さんお手製のオニギリを鞄に詰め込み出発した。

今度の谷は大きな岩が沢山ある男性的な渓流で、距離の無いピンスポットを打っていく釣りとなる。移動距離を短くしてその場でヒラを打たせる事の出来るBENKEIシリーズを凄く使い易いと普段から重森氏が言ってくれるのもこれで納得だ。入渓して直ぐ魚が居るか確認の為に投げた重森氏に元気なゴギがヒット。「いいなぁ〜いいなぁ〜」と覗き込むと、頭まで虫食い斑がしっかり見て取れる。正真正銘のゴギがそこにいた。





こちらも渇水のせいか餌追いが良い訳ではなかったが、それでもOMOWAZAをピンスポットで落とし込みアクションを掛けると僕にも人生初となるゴギが釣れてくれた。最初の魚は10数センチのとっても小さなゴギだったけれど、嬉しさはとても抑えきれない。写真を撮って前に進むと次はアベレージサイズの20cm程度のゴギが釣れた。その後も、いいぞいいぞとドンドン奥に吸い込まれて行く釣りキチ岐阜県民とその付き人。






距離の取れる広い場所ではUSHIWAKAもしっかり活躍してくれながら最終的に大きな滝壺の下まで辿り着いた。「あそこの岩盤が凄く深くなっていて大きいのが絶対に居るとこなんです」と重森氏。確かにここなら尺モノも身を隠すのに十分な水深がある。こそっとストーキングをして長くルアーをトレース出来る場所まで移動してキャスト。USHIWAKAを岩盤ギリギリに落とし込んでアクションを掛けると直ぐに反応があった。理想的な出方だ。引き寄せて直ぐに写真撮りに入ると同じ場所から今度は重森氏もUSIWAKAでゴギをキャッチ!なんとも言葉にならない程最高の気分だ。出来過ぎていてちょっと怖いぐらいだとさえ思った。




更に、この谷では面白いハプニングも起きる。
写真も撮り終え車まで帰る前の事。大嶋氏の作るEGOISTのリーフの動きを重森氏にも見せたいと思い、4cmリーフをキャスト。「こんな感じでラインスラッグを使って移動距離を短くさせながらヒラを打たせるんですよ」と話していると岩陰から黒い物体が一瞬ブワッと出て来てまた岩の影に戻って行ったのだ。思わず二人で顔を見合わせて「出ました..よね...」と同じ言葉が出る。更に同じ所にリーフをキャストしてアクションを掛けるとまたも真っ黒な物体が物凄いスピードで出て来て今度はリーフを引ったくった。「わっ釣れた!!」慌てて取り込んだのは今回僕のゴギ最高記録となる26cmの真っ黒な老齢魚と思われる個体だった。胸びれが見た事の無い程前に可動し、顔が大きく、目が白内障の様に薄白くなっていたのが印象的だった。




車に戻ると程良い時間になっていたので本流をちょっと突き、アマゴ一匹追加と大物2匹バラしで帰宅する事になった。今回、広島に来て何が良かったかと言うと自分が良い魚に出会えたのも然る事ながら、重森氏のフィッシングスタイルが僕と良く似ていると言う事が分かった事だ。川の歩き方、ポイントの見切りの早さ、自分で新しいポイントを開拓しようとするアグレッシブルさ、ついでに言うと細長い体に眼鏡で麦わら帽子など、とても他人と思えない程だった。最初は製作者の視点から僕なりの使い方を伝えようと思ったのだが、全くそんな心配が入らない程、schindlerルアーのポテンシャルを十分に引き出して使ってくれていたのが嬉しかった。


重森邸に帰宅してシャワーをお借りした所で丁度KAWAさんが仕事終わりで顔を出しに来てくれ、夕方から予定があると言う重森夫婦に見送られながら重森邸を後にした。最後にお腹が空いたとごねる僕をKAWA さんが昨日とは別のお好み焼き屋さんに連れて行ってくれてこれでもかと言う程に広島を満喫。がっちり握手で又の再開を約束し別れを告げた。そして高速道路に乗ったのが午後10時付近。さてこれから遠征第二ステージ四国を目指してもう一走りしよう。
温かく向えてくれた広島の方々、本当に有難うございました。